未知のなかば 未知先案内人

interview

第7回 データの声に耳を澄ませて

好きなものは「美しい世界」

きっと天文学が好きだったのも同じ理由だと思うのですが、美しい世界が好きなんですよね。物理とか数学とか、何の例外もない「美しい世界」がすごく好き。僕の中での至高の研究は「周期律表」なんですよ。周期律表ができた当時、発見されている元素の数はそれほどなかったのですが、見付かっている元素を規則に従って並べていくと、未発見だけどこういう元素があるはずだ、ということが予測できて、それで、探すと実際にあったりするわけです。元素の情報をいっぱい集めて並べてみたら、個々の元素の特徴とかじゃなくて、すべてに当てはまる法則が見付かった。これこそ究極の研究だと思います。
きっと共通原理を見付けたいんですよね。この物質はこういう動きをするとかじゃなくて、すべての物質がその法則のもとにあるような原理。それは、現在観測できないくらい遠かったり小さかったりするものにも、そして過去にも未来にも適用される。今でもそういう研究をやりたいし、ずっと昔からそういうことを求めていたと思います。

大学3年生の終わりごろ、タンパク質の構造解析をしている研究室に入りました。タンパク質というと生物学っぽいんですけどタンパク質の「構造」の研究なので、完全に物理と化学。タンパク質の立体構造をたくさん集めてデータベースを作って、なにか普遍的な原理がないか解析を始めました。
タンパク質の対称性についての論文を書いたりしていましたが、その時やっていた研究って、医学とか病気がどうこうとか、全く関係ない。何の役にも立たないんだけど、とにかくタンパク質の構造の美しさが好きで好きで…。とにかく自分の興味のおもむくまま突き進んでいました。

最近になって、データサイエンスとかビッグデータとかが話題になっていますが、僕はずっと前から、たくさんのデータを集めてそれを眺めていれば何かしらの原理が見えてくる、と感じていました。データが向こうから語りかけてくるんです。天文学がいい例ですけど、大昔から人は太陽や星の動きをひたすら観測してデータをたくさん集めて、暦を作ったり、日食や月食を予測したりしていたわけです。古から当たり前のように、データを土台にしたサイエンスは存在していた。人類はデータサイエンスを大昔から行っていたのです。

この頃から真剣にコンピュータに取り組むようになりましたが、情報科学自体に興味がある、というよりは、なにかしらの原理を追究するための技術として情報科学を勉強していたのだと思います。必要に迫られてやっていたら、今では情報科学の専門家みたいになっているんですけどね。

「わかった」とは何か?

その時の研究室の先生が郷信広先生(現・京都大学名誉教授)です。郷先生はテクニカルなことは何一つ教えてくれませんでした。でも、研究者としてのフィロソフィーという点に関しては、いまだに彼の影響をすごく強く受けています。

たとえば郷先生の論文指導ですが、1対1で郷先生と僕とで論文を読み始める。1文読んでそれについて説明を求められる。郷先生が「なるほど」と言ったら次の文に移る。それを延々とやって、途中ではたと「なるほど、あなたの言いたいことがだんだんわかってきました。じゃあ最初からやりましょう」と言われて、最初からまた同じことをやる。郷先生が論文のすべてを「わかる」ようになるまで、1週間くらいそれを続ける。

ちなみに「わかった」ってどういうことだと思います? 理解…、そうですね…。どういう風に言い表したらいいかなぁ。同じ現象を見ても…、たとえばタンパク質がこの形になるとこの機能が発動する、ということが発見されたとき、生物学者はそれで「わかった」と感じると思うけど、物理学者は「なぜこの形なのか」ということがわからないと「わかった」とは感じられない。「なぜこの形なのか」がわかっても、量子力学の人から見たらたぶんまだ「わかって」いない。
「わかる」っていうのは、その人が持っている世界観の中のある場所にピタッとはまったってことだと思うんです。「わかった」は人それぞれで、もしかしたら本人以外の誰も「わかった」ことを「わかって」くれないかもしれない。でも本人は「わかった」ことははっきりと「わかる」と思うんです。その時が来たら自分ではっきりと「わかる」。

郷先生は、自分が「わかった」問題についてはスパッとやめて、もうその問題に取り組むことはなかった。「わかった」時点でその問題は完了なのです。

仙台へ そして震災

大学院を卒業しても、僕は好きなことを追究していました。日本蛋白質構造データバンク(PDBj: Protein Data Bank Japan)の立ち上げに関わったり、実務的なこともやりましたが、基本的にそれは僕が研究したいことのためでした。国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の事業で「さきがけ」という若手研究者のための支援制度があるのですが、この制度はもらった研究者自身のために使う、ということを厳密に行っていて、たとえその研究者のボスでも一切口をはさめないんですね。その制度を目いっぱい使って、とにかく自分の好きなことを研究していました。暴走していましたね(笑)


東京大学医科学研究所に在籍していたころ
(名古屋大学大学院理学研究科TB研理論生物化学物理研究室ウェブサイトより許諾得て転載)


色々な大学や研究機関で研究を続けていたのですが、東京大学の医科学研究所にいたころ、東京の人の多さに嫌気がさして、とにかく東京以外のところに行きたい、と思って東北大学情報科学研究科の公募に応募しました。だからその時は東京以外だったらどこでもよくて、仙台に来たのは本当にたまたまだったんです。

仙台に引っ越して、人も少ないしいいところだー、と思ってしばらく過ごしていたら……、東日本大震災が起きました。

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