未知のなかば 未知先案内人

interview

第9回 オファーがあれば受け入れる。それがフォワードでもバックスでも

ToMMoでの経験

何もないところからここまで大きな組織を立ち上げる、というのは滅多にできる経験ではありません。大学病院や医学系研究科では、診療科や研究室ができたら短くても十数年は存続しますし、それこそ何十年という歴史を持つ研究室もたくさんあります。ところがToMMoは組織がどんどん変化していく。必要な時に必要な組織が作られ、場合によっては無くなるものもある。それに合わせて、自分の役割もどんどん変わっていって、その役割に自分の方が合わせていかなければいけない。
できることをやる、ではなく、医師だとか教授だとか関係なくその時やるべきことをやる。合っていないとかやったことがないとか、そういう問題ではないです。
おかげで、大概の環境だったら生きていける自信がつきました。

いろいろな立場で

参加当初、僕のミッションはゲノム解析寄りだったと思うのですが、現在は地域支援仙台センター長(当時)等々、解析というよりはコホート寄りの仕事をしているかもしれません。
当初、コホート調査の「介入しない」というスタンスはなかなかなじめなかったです。それまでやっていた診療や治療と根本的に異なることでした。僕は今すぐサポートしたいのに、研究してまわりまわってやっと還元されるので、すごくまどろっこしい。実はいまだに戸惑いや葛藤はあります。けれど、そういう役割を与えられたからには、その立場に自分をはめ込むようにしています。そんなコホートに戸惑っている僕を現場のスタッフは本当によくサポートしてくれました。ここまでやってこられたのも周りの人たちのおかげです。
あと、3人いる副機構長のひとりでもあるわけですが、他の二人、呉先生はコホート、木下先生は解析の担当ですので、ここでは僕は、総務的な役割を求められています。ToMMoという大きな組織が円滑に進んでいくよう、調整役に徹しています。
ですので、仙台センター長の自分、副機構長の自分、あと臨床医の自分・・・、役割に応じてそれぞれ別の「布施昇男」に切り替えながらやっているかんじです。

2015年 コホート調査のリクルート動画撮影にて現場のスタッフ達と

 

これからのToMMo、これからの自分

2012年に事業が始まって、コホート調査をもとにしたバイオバンクを作り、ゲノムやオミックスの解析結果も整備して、現在は研究者に使っていただけるような基盤ができたところです。今後はこの基盤を発展させていくとともに、もっと研究者にアピールして活用してもらわないといけないと思います。内容も知名度も向上させて国際的なバイオバンクに比肩するようなバンクにしなければなりません。
基盤はそういった継続発展路線だと思うのですが、ToMMoという組織については現状路線の維持ではいけないと思います。変革を恐れず、最初から新しいものを作っていくくらいの気持ちで取り組まなければ、と考えています。
震災後もそうですけれど、今も新型コロナウイルスの影響で、人々の考え方とか生活とか、色々なことが大きく変化する転換の時期だと思います。僕自身にとってもこれまで以上に、多様な役割が求められるシーンが出てくるでしょう。
これまでの経験値がどうなるか、役に立つのか立たないのかよくわからない。震災から10年のいま、再度スタート地点に立っていると感じています。これからも色々なことが起こると思いますが、試合状況に応じてポジションを変化させながら進んでいこうと思います。

2019年 ラグビー日本代表のユニフォームを着てToMMoの仲間たちと

そしてノーサイドの笛が鳴って、役割に自分をはめ込まなくともよい、となった時は・・・、臨床医に戻ってまたスペシャリストを目指すかもしれません。何か新しいこと、例えばこれまでになかったようなクリニックを立ち上げるとか。
変化していくことに恐れはないし、変わることが「はめ込む」ではなく「チャレンジ」になるんじゃないかな。そう、またキックオフ。刻々と変化し続けるフィールドでずっと試合中でいたいですね。

【2020年12月2日。 東北メディカル・メガバンク棟6階 ミーティングルームにて】

(プロフィール)
東北大学医学部卒業(1991年)。東北大学眼科助教、アメリカ合衆国ミシガン大学ケロッグアイセンター研究員、東北大学眼科講師・准教授を経て、2012年東北メディカル・メガバンク機構発足に際してバイオマーカー探索分野教授、2019年4月より副機構長就任。広報・企画部門長。コホート事業部 副部長。健康調査推進センター長。[2021年5月現在]

(担当:是枝幸枝)

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