未知のなかば 未知先案内人

interview

第8回 「好きなことを仕事に」 とは言うけれど

ToMMoへ

5年毎のプロジェクトを繰り返して、区切りの良い時に、東北メディカル・メガバンク機構というところで生体内の分子の解析をする人が必要だ、と声をかけられ、じゃあやってみましょうかぁ、という感じで東北大学に来ました。
引っ越して東北に来ることは、特に気になりませんでした。住むところにはこだわらないです。基本的にはこれからも実験して論文を書いて、そしてビッグプロジェクトの一員としてシステム作りをする、その繰り返しと思っていました。

しかしToMMoではこれまでやったことがないことも経験しました。

住民の方々に調査の説明をする様子

当時、宮城県のあちこちの健康診査会場に行ってコホート調査への協力をお願いする、ということを、担当の研究者だけではなくてToMMo総出でやっていたんですね。健康診査は朝6時とか7時くらいから始まるので、朝4時に起きて会場に行って地元の一般の方たちに調査の説明をしなければならない。いきなりその現場に行かされて、正直仰天しました。健診に来た人に何か質問されても方言がわからなくて、懸命に聞き取ったら、実は調査の事でもなんでもなく道を聞かれただけだったりして。もちろんそれまでそんな経験無かったですし、調査の日はへとへとでした。でも、びっくりはしましたけど、嫌だとか断るとか、そういうのは無かったです。普通にやっていました。自分のタスクはきちんと果たします。

あと、ToMMoで新しく取り組んだこととして、アンチ・ドーピングがあります。

アンチ・ドーピングのシンポジウムを聴講する小柴教授

2017年に、東北大学・筑波大学・東京大学・日本医科大学の4大学で、アンチ・ドーピング研究のためのコンソーシアムが結成され、私に新しいタスクが課せられました。それは、巧妙化が進むドーピングの対応のためにNMRを使った検査方法を開発する、というものです。
コホート調査で行っているタンパク質や代謝物の研究は、そもそも人間の中に最初から存在するとか、通常の生活の結果で生成されるものを対象としていますが、ドーピングの場合は明らかに通常とは異なる作用が起きているわけです。ドーピングをすると、体内のタンパク質や代謝物の種類や量がどのように変化するか、そしてそれらが人間にどういった影響を与えるのか、そのメカニズムはどうなっているのか…、興味は尽きません。しかもドーピングというのは、クスリと異なり病気ではない人に作用させ、しかも痕跡を残さないようにしなければならないので、そもそも、ものすごく難しい。ドーピングはある意味、最先端の医学なのです。それを検出する、というのはさらにその上を行かなければならないわけで、大変なんですけど結構面白いと思ってやっています。

当然、本来のタスクもやっています。コホート調査で集めた膨大な血液由来サンプルの解析です。最初は5人、次に500人、というように、たくさんのサンプルを長期間安定して測定するためにはどうしたらいいか、いろいろ試しながら出来る限り自動化してシステムとして成り立つよう工夫しました。研究者にコホート試料のタンパク質や代謝物の解析結果を提供する、というのはToMMoの複合バイオバンクの機能のひとつであり、私に課せられた最大の業務です。多くの人のタンパク質や代謝物の種類や量がデータとして整理できていれば、疾患バイオマーカー(病気による変化や治療効果の指標)の発見等に役立つと考えられているため、こういったシステムを待ち望んでいる研究者が多いのです。
このシステム作りのため、自ら手を動かして実験する機会はかなり減りました。本当は自分でやりたいほうなんですけどね。でも、多くの人の解析を行うにつれ人間の中でどういう分子がどれくらいの量存在するのか、ということが明らかになってくると、それはそれで非常に興味深かったです。見ているものは同じ分子でも、もともと研究していた構造解析とは異なるベクトルなので、いろいろな発見があります。

日々NMRのコンソールに向かう小柴教授

お雇い外国人

新しい経験もしましたが、やっぱり基本システム作りをやっていますね。アンチ・ドーピングも最終的にはシステムとして成り立たせて実用化することを目標としています。

実はこういう、プロジェクトのためのシステム作りというのは、予定通りに達成しても全然褒められないんです。簡単な事ではないのですが、外からはそうは見えないみたいで。ただ、プロジェクトのために必要であり、それが私の役割であれば当然役割は果たします。役割の中でやりたくないものもありますけども……、やりたくないものもやりつつ、自分のやりたいような内容にちょっとずつ修正したりとか、そういう風な形でまぁなんとかやってきました。
研究者なんて好きなことばっかりやっているように思われているかもしれないですけど…。

研究者以外の選択肢もいっぱいあったのに、と思うこともあります。そう思うこともありますけど、じゃあ別にそうしたからって…そっちの方が良かったかどうかなんてわかんない。時代もあったかもしれません。大学に入ったころからずーっと景気が良くなくて、失われた20年なんて言われる時代を生きてきたわけですから。
時々、自分はまるでお雇い外国人(編集部注:主に幕末から明治にかけて日本の近代化のために雇われた各分野の専門家の外国人)だな、と思うことがあります。要するにプロジェクト遂行係なんですよ。振り返るとずっとプロジェクトの目標があって、そのためのシステム作りをして、その繰り返し。さっきもお話ししましたけど、システム作りって全然褒められない。

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