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interview

第6回 精神疾患、その原因を追い求めて

富田博秋

富田 博秋
メンタルヘルスケア推進室長
予防医学・疫学部門 教授

東北メディカル・メガバンク機構のコホート調査では、参加者の「こころ」についても調査をしています。東日本大震災がこころに与える影響の大きさは調査により徐々に明らかになってきています。うつ病やPTSD等の傾向がある場合には、専属の心理士が電話をして現在の様子を伺い、必要に応じて、カウンセリングや相談、医療機関を紹介する等の支援活動を行っています。相談内容は医師である私も確認し、必要に応じて私が直接、お話を伺わせて頂いています。

うつ病、PTSD、統合失調症……いわゆる「精神疾患」についてどのような印象をお持ちでしょうか? 身体の病気と異なり、目に見えたり、客観的な検査の数値で異常値が出てくるものではないので、捉えどころがないように感じる方も多いのではないでしょうか。
一般の方だけではありません。医療や医学の世界でも、精神疾患については長い間、どのようにして原因の解明が起こり得るのか、想像するのも困難でした。でも今私は実感しています。近い将来、精神疾患の原因の解明が実現することを。そして、私達が解明への道を歩んでいることを。

博多生まれのオックスフォード育ち

私の名前は「博秋」なんですけど、博多で秋に生まれたから博秋になったんです。ちなみに弟はイギリスで春に生まれたから英春。どちらも父が名付けました。父は大学で生理学をやっていて、研究一途のタイプでした。福岡で生まれたのですが、半年くらいでオックスフォードに引っ越して5歳までイギリスにいました。普通は日本人家族なんだから、たとえ外国に引っ越しても家の中では日本語で会話しますよね? でも何故かうちは常に英語だったそうです。両親ともに、そんなにペラペラってわけじゃないのに。だから5歳まで英語しか話せなくて、日本に戻って保育園に入った当初は結構苦労したみたいです。でも日本語を覚えるにつれて、残念ながら一旦英語は全部忘れてしまいました。


富田博秋子供時代

英国での子供時代


高校生の時に、いろんなことに関心が持てなくなってしまった時期があって、そんな時に、どうしてそのような状態になるのか知りたくなり心理学や脳科学関係の本を読むようになりました。最初は大学で心理学を勉強することも考えたのですが、どちらかというと脳科学を勉強したいと思って医学部に進学しました。だから入学当時は「お医者さんになって患者さんと接したい」とは考えていなくて、基礎研究の方に進みたかったんですよね。

精神疾患の原因を探す道の始まり

大学は岡山大学です。大学2年生の時に、大学のOBの先生に声をかけられて、精神科の病院で、入院している子どもに勉強を教えるアルバイトをするようになりました。卒業試験で忙しくなるまで4年程通わせて頂き、そこで実際の臨床現場に触れることになりました。その頃の精神科病院は閉鎖病棟での治療の比重が大きく、いろいろな意味で患者さんの治療環境は決してよいとはいえませんでした。しかし、私が出入りしていた病院は、精神医療の閉鎖的環境や患者さんの人権の問題に積極的に取り組んでいて、当時としては珍しく全部の病棟が開放病棟でした。その病院が「当たり前の医療をもとめて」という病院の取り組みをまとめた冊子を刊行したのですが、確かに当時の精神科医療は、現在の状況とは比較にならないのはもちろん、当時、他の診療科で行われていた「当たり前の医療」とも大きな隔たりがありました。
患者さんの人権面の状況や治療環境の改善は重要な問題です。しかし、医療環境に人権上の問題がある場合、医療を行わないようにしようとはならず、人権問題を改善しながら医療環境を向上させよう、となる訳ですが、同様に重要であるはずの研究については、研究そのものに対して敵視、あるいは、軽視する風潮もみられました。研究は、疾患病態や治療効果の理解を進め、診療技術の改善を行うために欠かせないにもかかわらず、このような風潮であった原因でもあり結果でもあったのは「精神病=原因が分からない病気」という感覚だったように思います。

精神疾患の原因を突き止める難しさは色々ありますが、まず表に出てくる症状が目に見えない、という点があります。気分が落ち込むとか幻聴とか、精神疾患の症状を構成する感情や思考の変化は、診察時に患者さん本人の主観としての情報を話してもらうことでしかはかりえないのです。糖尿病のように血糖値が上がるとか、アルツハイマーのように脳が縮んでいる等の客観的な病状の評価ができません。一口にうつ病や統合失調症といっても患者さんの症状の出方は多様で、そもそも同じ疾患としてもよいのかどうか判然としません。従来の精神疾患のカテゴリそのもののが、「一定の症状がみられればひとまずその疾患とみなす」という便宜的なものなのです。
そのようなこともあって、当時は精神疾患の研究というのは「患者さんを救うことに直結する」という風にはなかなか受け取られなかったのだと思います。出入りしていた病院の先生方に私が「大学院に行って研究する」と言ったら、すごくびっくりされましたし、そもそも精神科医になったのは「精神疾患の原因の解明に繋がる研究がしたい」という動機があったのだ、と大真面目に話したつもりが完全に冗談と思われて「面白いこと言うな」と、ウケてしまいました。当時の私のキャラもあったかもしれません。その頃は原因解明までの道程はあてどなく遠く「患者さんのために研究する」という発想がそもそもあまりなかったのだと思います。
それだけに、精神疾患について偏見があったり、社会の中で理解が得られなかったり、診療環境が改善しないのは、精神疾患が分からない病気と捉えられていることも大きいんじゃないかと思ったのです。患者さんの待遇を改善することはもちろん大切ではあるけれども「どうして精神疾患という病気になるのか?」が明らかにならなければ、あるいは明らかにしようという姿勢で取り組まなければ、本質的な意味で、患者さんの環境も社会的な地位の改善にも、そして「当たり前の医療」の実現にもつながらないのではないか、と考えました。

大学院では、ラットを使って統合失調症に似た状態を作って、ラットの脳の中で神経伝達物質の遺伝子発現がどう変わるか、という実験をしていました。ただ、このような研究からは、遺伝子がラットの脳でどのような役割を果たしているかは分かっても、脳で起きている何が原因で精神疾患が引き起こされるかについては、殆どなにも分からなかったので、ずっとこれだけを研究し続けていく程の興味を維持することはできませんでした。
どちらかというと並行して取り組んでいた臨床業務の方が面白くなってきて、大学院を修了した後は研究の道には進まず、姫路市の精神科病院で精神科医として勤務を始めました。

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