未知のなかば 未知先案内人

interview

第7回 データの声に耳を澄ませて

木下賢吾

木下 賢吾
副機構長
ゲノム解析部門 教授

私は、東北メディカル・メガバンク機構(ToMMo)の「ゲノムプラットフォーム連携センター」のセンター長をしています。このセンターは、コホート調査で得られた多くの貴重な情報と、スーパーコンピュータ等の研究基盤を、全国の研究者に使っていただき、日本のゲノム医療研究の水準を向上させることをミッションとしています。いわば、日本のゲノム医療の裏方、縁の下の力持ちです。私はこのセンターの取りまとめと、特に、スーパーコンピュータやデータベースなど、情報科学の面で東北メディカル・メガバンク計画に関わっています。
今はこういうことをしている私ですが、実はゲノムも医学も情報科学も、そして日本全国の研究者のために汗を流す、みたいなことも、全部好きではないし、そもそも私は好きではないことを我慢してやるのは大っ嫌いなのです。そんな私がなぜこの取り組みをしているかというと…。

やりたいことをやりたいようにやる

生まれは大阪です。うちは母子家庭だったのですが、母はいつも「好きなことならなんでもやれ」と言っていました。その方針は徹底していて「好きなことをやった結果、池に落ちて死んじゃったとしても、それはそれで仕方ないよね」と。
僕は母の言葉をそのまま受け止め、やりたいと思ったら一直線、そんな風に育ちました。

小学生の頃、興味を持ったのは星です。屋上がある家の子と友達になり、そこで一晩中寝ずに夜空を観察していました。
次に興味を持ったのはパソコン。とは言っても当時のパソコンは高価でとてもじゃないけど買ってもらえません。そこでどうしたかというと、大きめの電器屋さんに行って展示品のパソコンをいじる。もう一日中電器屋さんにいて、いろんなパソコンをいじりたおす。コマンドを打って「おおっ!丸が描けた!」みたいなことをしながら、ずっと入り浸っていました。

星はずっと好きだったので、天文学が勉強できる京都大学の理学部に入学しました。この大学がこれまた自由すぎる校風で。出欠は取らないし先生は授業に遅れてくるし…。黒板だけを見て学生のほうを全く見ない先生もいました。後にその先生はノーベル賞を受賞するんですけどね。
大学ってそういうもんだと思っていたので、自分が授業をする立場になったときに、みんなまじめに授業に出てくるし、レポートもちゃんとしたものを書いてくるので、京大の授業は一体なんだったんだろう、と思いました。
授業の取り方もかなり自由だったので、1年生のうちから専門の天文学の講義に出てみたのですが…、仕事になったらこれはしんどいぞ、と。
たとえば日食とか天体の接近のような天文現象がある時には、盆でも正月でもその場所に行って観測しなきゃいけないとか、「やらなければならない」となるとなんか違うかな、趣味に留めたほうがいいのかな、と思うようになりました。

木下賢吾

 

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