未知のなかば 未知先案内人

interview

第3回 「死なない薬」を作りたかった少年の軌跡

ToMMoへ。被災地の調査へ。

 地元である仙台も含め、宮城県沿岸部で甚大な津波被害が起こりました。その復興と次世代型医療の開発のためにToMMoが立ち上がることになりました。そこで健康調査の担当者としての声をかけていただきました。正直、山形での研究生活は楽しく充実していましたし、相当悩みました。

 しかし……自分は公衆衛生をやっている。「どういう環境に置かれると人は病気になるのか」ということを日々研究している。どう考えても、このまま放置しておけば沿岸被災地で病気になる人が増えていくだろう……そう思いました。また、「自分を育ててくれた地元での災害だ。この状況でこの話を断ったらすごく後悔するだろうな」と思いました。これはもう、ぼくにとって「ひとつの運命」だと思いました。こんな状況になったら、被災地に行って、健康調査をやるしかないじゃないですか……まさに、自分がやるべき仕事だと思ったんです。被災地のために。

 2012年、地元・仙台に戻り、このToMMoに着任しました。

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 ToMMoが沿岸被災地を含む宮城県内で実際にゲノム・コホート調査を開始したのは昨年、2013年5月です。震災発生から2年2ヶ月後ですね……これには内外からいろいろと意見があって、「まだ、健康調査を始めるには早すぎたんじゃないか。もっとよりよい調査にするためにじっくり準備する必要があったはず」という意見もあります。ただ、実際に健康調査をするぼくらにしてみれば、あれ以上は待てなかった。どれだけ早い時期にどれだけ被災地の方々の健康データを集められるかが大切だと思ったんです。広範囲の長期健康調査をして、なるべく早く個人個人の健康データを本人に伝えたかったということもあります。また、全体の集計を早く行なって、現在の被災地の方々の健康状況を総体的にみた結果を早く出したかった。「被災地でこういう病気が増えている」という傾向が分かれば、「こういう病気が増えているので気をつけてください」と注意喚起することもできますから。

 ぼくらがこのゲノム・コホート調査をやっていくうえで、一番やってはいけないことは「データを温存すること」だと思っています。データの集計結果に何らかの傾向が出てくるまで待つこと、研究者にとって興味深い結果が出てくるまで待つことは、絶対にやってはいけない。なるべく早く集計結果を返す。それが協力してくれた参加者の皆さんへの誠意だと考えています。

繋がっていく系譜。共有する時間。

 ぼくは「誰かが集めてくれたデータ」を使って、もう、数十本もの論文を書かせていただいています。自分の名前が筆頭になる論文だけでも、30本近く書かせてもらっている。そういう仕事ができるのも、ぼくよりも前の世代の方々がデータを集めてくれたからなんですね。だから、自分も集めなくてはならない。ぼくが集めたデータを使って、若手の人たち、次の世代の研究者にはどんどん論文を書いてほしいんです。誰がこのデータを使うのかまでは分かりませんが、いわば、コホート調査でデータを集めることは「次世代に成果を残すための壮大な種まき」なんですよ。

 それから……学生の頃から現在まで、公衆衛生をやってきて思うことなんですが、病気、特に生活習慣病の原因は、血圧、コレステロール、血糖値、喫煙習慣などで6割から7割の要因の説明ができます。残りの3割の要因として、遺伝子が関係してくるんじゃないかと思っています。それこそがぼくのリサーチ・クエスチョンなんです。だから、従来のコホート調査ではなく、ゲノム・コホート調査をやるわけですね。ゲノムも視野に入れなければならない……それで、いろいろと調べて研究した結果が「病気になるかならないかは、環境だけでなく、遺伝子も大きく関係していることが分かった。そこからまた研究して、遺伝子を考慮した、一人一人に適した医療・予防ができるようになった」という形でも良いし、「病気になるかならないかは、遺伝子の影響もある程度あるけれど、やっぱり生活習慣によって決定的に変わってくる。とにかく生活習慣なんだ」という形でも良いと思っているんです、実は。ぼくにとって大切なのは「病気にならないようにするにはどうすべきか」ということなので、遺伝子に対する思い入れが特に強いわけではありません。ただ、病気になっていく原因を考えるうえで、遺伝子の影響をいつまでもブラックボックスに入れて考え続けるわけにはいかない。遺伝子の影響が大きいか小さいかはともかくとして、その部分も評価できる時代にしたいという思いがあります。

 たぶん、一番大切なのは「本人が意識しないまま、自然と長生きできる社会」を作り上げることなんだろうと思いますね。そういう社会が実現するように、医療と社会システムをさりげなく改善していくことが大切なんだろうと思います。

死んだらどうなるんだろう? 死ぬのが怖い……ずっと心の底で抱き続けてきた、この思いが、最近、ようやく薄れつつあります。結婚して、子供ができて、子供たちがむくむくと大きくなっていく様子を見守っているうちに「繋がり」を感じるようになりました。

 元々は地球上に生まれたひとつの生物がどんどん代を重ねて繋がって、進化して、種分化して、人間が生まれて、また、代を重ねて繋がっていく……これはそのまま、遺伝子の思想でもあるし、魂の問題、哲学や宗教にも関わる話でもあります。
「繋がっているからこそ、自分が生きていることに意味がある」。
そう、思えるようになって、初めて、死ぬのが怖くなくなってきました。

 それでも、やはり……なるべく「人が長生きできる方法」を模索していきたい。「絶対的な孤独」であるはずの一人の人間が、家族とも友人とも、そして知らない他人とも、同時代人として繋がっていられる時間を延ばしていくことが、医者の本当の使命だと感じています。

【2014年4月4日。医学部5号館9階リフレッシュルームにて】

(プロフィール)
1996年、東北大学医学部卒。2002年、同大学院医学系研究科博士課程終了。博士(医学)2004年、ミネソタ大学疫学・地域健康部門客員研究員。2006年、滋賀医科大学保健医学部門(現公衆衛生学)特任助手、翌年特任助教。2008年、東北大学大学院医学系研究科助教。2010年、山形大学大学院医学系研究科助教、同年講師。2012年、東北メディカル・メガバンク機構 予防医学・疫学部門 教授。[2014年4月現在]

(担当:清水修)

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