未知のなかば 未知先案内人

interview

第4回 いつの間にか、冒険の旅へ

【インタビュー依頼メールへの高井准教授の返信】
高井です。ご返信遅れまして、申し訳ございません。
身に余るご依頼で、一晩考えておりました。記事にして頂くのは、本当に名誉なことなのですが、自分の人生をふり返っても、本当に失敗ばかりで、他人にお役に立てることなど、何もないのです。
高井貴子

高井 貴子 コホート情報管理室 室長(医療情報ICT部門 准教授)

東北メディカル・メガバンク機構では、大規模な健康調査を実施しています。参加された方は、様々な質問に答えたり、血液や尿を採取したり、いろんな検査をしたりします。その結果、アンケートデータ、血液や生理学機能の検査データ、ゲノムのデータ、種類も量も膨大なデータが集まってきます。それらをすべてまとめてデータベースに格納しなければなりません。そして、そのデータベースは、未来の世の中に役立つものでなければなりません。私は、このデータベースを作る仕事をするためにここに来ました。

冒険しないで地道に生きたい

私、本当に小さい頃から、ほんっとになんかこう、冒険したくなかったんです。怖いものがいやで、可能な限り避けたかったんです。「冒険したくない。地道に生きたい」という、夢がない子どもで。ウルトラマンとかガッチャマンとかも怖くて途中で観るのをやめちゃうくらい。「冒険に出るとああいう怖いことが絶対に起こるので、冒険はしないで人生を送ろう」と小さな頃から決めていました。

高井貴子

妹と七五三のお祝い。右が高井准教授

外は怖いからいや、おうち大好きで、家の中でお菓子を作るのが好きでした。粉と卵と牛乳、全然違う素材を混ぜ合わせて、いろいろ工夫してオーブンに入れると、スポンジとかシューの皮とか全く違うものが出来あがる。どうしてそうなるかは全然解らなかったけれど、とにかく面白かったんです。そして理科の授業で「すべての物質は全部元素からできている。元素の組み合わせによって、机になったり空気になったりケーキになったり、全く異なるものになる」ということを習った時に、感動するというか腑に落ちるというか、ああ、すごく面白いな、と思いました。高校生になってもお菓子作りが大好きで、大学で化学科に進んだのも、そのあたりが理由だったのかなと思います。

そして、大学で生物化学という講義を受けた時に、机やケーキなどの物質だけではなくて、自分が動いたり考えたり話したり、ということがすべて元素の組み合わせで成されているということを習って。元素で構成されるタンパク質がすごく柔軟で、エネルギー状態によって形を変えて他のタンパク質とくっついたり離れたりダイナミックな動きをしているから、私自身が動いたり考えたりできるんだ、ということを知り「ものすごく面白い」と感じました。この頃から、体の中の仕組みに興味を持ち始めたのだと思います。

面白いなとは思ったものの、私、地道に冒険しないで生きることがモットーだったので、それならなんといっても公務員だ、と。「定年までどこにも転勤しないような研究所に就職して地道に研究できれば」と考え、そのために大学院で勉強して国家公務員になろうと決めました。そして地道に計画を立てて、大学院の勉強を始めたのです。そこで、ちょうど同じ学部の先輩で大学院を受験された方がいらしたので、ちょっと話しを伺ってみました……その時に、分子生物学に出会ったのです。

分子生物学という学問はあまりに魅力的でした。「人のすべての営みはDNAという設計図に書いてある。そこからタンパク質ができて、そのタンパク質が様々な動きをすることによって、人のいろいろな営みが説明できる。」ということを教わって、こういう世界があったんだ!と、ものすごくビックリしました。ここで生まれて初めて勉強というものに真剣に向き合ったのだと思います。分子生物学ってその頃、日本に入ってきたばかりだったんです。教科書とかなんにもないんですね。どうやって勉強したかっていうと、その先輩が使った受験用ノート、あと辞典、厚さが10cmくらいの分子生物学辞典というのがあって、その辞典を片っ端からずーっと読むんですけど、どの項目を読んでも面白くって。もう夢中でした。

夢の職業、公務員に

そして大学院生になり、大好きな分子生物学を勉強することができたのですけれど、目標が公務員というのは変わりませんでした。研究室の先生にも「君に絶対に合っているから」ということで推薦していただき、国立医薬品食品衛生研究所(以降、国立衛研)という厚生省の国立研究所の研究員として就職することができました。ええ、そうなんです。地道に冒険しないで努力を積み重ねた結果、私は夢をかなえたのです。ここで定年まで堅実で確実な人生を送るんだ、これで安心だ。私は十分に満足していました。

国立衛研で配属された部署はコンピュータを扱う部署でした。コンピュータの経験はほとんどありませんでしたが、私はもう夢がかなっていましたので、特に不満もなく素直にコンピュータに取り組みました。ちょうどインターネットが始まって、いわゆるウェブブラウザができて来た頃で。たちまち夢中になりました。
国立衛研で取り組んでいたのが「コンピュータを使った化学物質の毒性予測」です。毒物が体に入った時に、どう作用してどういった経緯を経て最終的にどのようにして毒性が現れるのかということが、分子生物学によって明らかになりつつありました。この流れをコンピュータに取り込んで、計算によって毒性を予測できるようなシステムを目指していたのです。これを目指す過程で、体の中で様々に連動している仕組みを計算したり検索したりするデータベースシステムを作ったのですが、これが高く評価され、現在では様々な研究で利用されているパスウェイデータベースというものの基礎になったのです。良い仕事ができたということで、海外の学会で発表させていただく機会が増えました。実は、そこでまた大きな出会いがありました。

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