公衆衛生対策を後押しするゲノム情報 -新型コロナウイルス感染症クラスター対策の視点から-|ようこそゲノムの世界へ

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公衆衛生対策を後押しするゲノム情報 -新型コロナウイルス感染症クラスター対策の視点から-

現在、世界中で流行が拡大している新型コロナウイルス感染症(Novel Coronavirus disease 2019: COVID-19)。その原因となるのが新型コロナウイルス (SARS-CoV-2) です。SARS-CoV-2を含むコロナウイルスは、外側を膜(エンベロープ)で覆っているエンベロープウイルスです。ウイルスのゲノムはRNAで、約3万塩基とRNAのゲノムを持つウイルスの中でも最長です。ウイルス粒子は直径 約100-200 nmで、S (スパイク)、M (マトリックス)、E (エンベロープ)という3つのタンパク質で構成されています。ウイルスは、相手に感染しようとするとき、その相手の細胞のとっかかりのようなもの(受容体)を見つけて、結合してから細胞に入り込みます。ウイルスの側で、その受容体と結合するのはSタンパク質です。Sタンパク質が鍵ならば、細胞の受容体が鍵穴になります*1。ヒトに感染するコロナウイルスとしては、風邪の原因ウイルスとしてヒトコロナウイルス229E、OC43、NL63、HKU-1の4種類、そして、重篤な肺炎を引き起こす2002年に発生した重症急性呼吸器症候群 (SARS)コロナウイルスと2012年に発生した中東呼吸器症候群 (MERS)コロナウイルスの2種類が知られています*2。SARS-CoV-2は、相同性約80%とSARSコロナウイルスに近く、SARSコロナウイルスと同じ受容体 (ACE2)を使ってヒトの細胞に吸着・侵入することが最近の研究で報告されています*1

日本においては、2019年末の中国・武漢を発端とするSARS-CoV-2が2020年1⽉から2⽉にかけて国内に流入し、地域的な感染クラスター(集団)を発⽣させました。クラスターが発⽣した場所では「積極的疫学調査」(感染症などの色々な病気について、発生した集団感染の全体像や病気の特徴などを調べることで、今後の感染拡大防止対策に用いることを目的として行われる調査)が実施され、発⽣源と濃厚接触者を特定することで、さらなる感染拡⼤を封じ込める対策が展開されてきました。一時的に⼀定の成果を得た地域もありますが、後に各地で感染拡⼤が進⾏し、2020年4月28日現在で全国規模の緊急事態宣⾔に⾄っています。

感染拡大の状況を把握し、今後の対策を立てる上で積極的疫学調査は重要ですが、それを裏付け科学的に支援するのがゲノム情報です。世界各地の研究所においてSARS-CoV-2のゲノム配列が解読されており、4月16日現在で4,511人から採取した検体のSARS-CoV-2ゲノム配列がGlobal lnitiative on Sharing All Influenza Data:GISAIDのデータベースに登録されています。日本国内でもSARS-CoV-2のゲノム解読は進められています。4月27日、国立感染症研究所からSARS-CoV-2に関する分子疫学調査の結果が発表*3されました。日本国内で各地の協力施設から収集された陽性者の検体を用いて562患者でのゲノム解読が行われ、世界のデータと統合した塩基変異抽出、ウイルス株の親子関係を示すハプロタイプネットワーク図が作成され、その分析結果が解説されています。SARS-CoV-2の変異速度は現在のところ25.9塩基変異/ゲノム/年(つまり、1年間で25.9箇所の変異が⾒込まれる)と推定*4されています。2019年末の発⽣から4ヶ⽉ほどの期間を経て、ゲノム全域に少なくとも9塩基ほどの変異がランダムに発⽣していると⽰唆されています。

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図:世界と⽇本のSARS-CoV-2ゲノム情報の塩基変異を⽤いたハプロタイプネットワーク図(参考文献3より)

日本では、中国発の第1波においては “中国、湖北省、武漢” をキーワードに感染者を特定し、濃厚接触者をいち早く探知して抑え込むことができていました。しかし、緻密な疫学調査により収束へと導くことができるかと思われた矢先に、3⽉中旬から全国各地で “感染経路(リンク)不明” の孤発例が検出されはじめています。渡航⾃粛が始まる3⽉中旬までに海外からの帰国者経由で “第2波” の流⼊を許し、数週間のうちに全国各地へ伝播して “渡航歴なし・リンク不明” の患者・無症状病原体保有者が増加したこと、3⽉中旬以降、国内移動や外出自粛などの⾏動制限の徹底がなかなか出来なかったことで、SARS-CoV-2が国内に徐々に広まり、現在の感染拡⼤へ繋がったと推測されています。今後、第3波、第4波が来ることは十分に考えられます。ゲノム情報と疫学調査情報の迅速な共有、公開が効果的な感染症対策の鍵と言えるでしょう。

参考文献

1. 日本ウイルス学会「新型コロナウイルス感染症について
2. Cui, J., Li, F., Shi, Z.L. Origin and evolution of pathogenic coronaviruses. Nat. Rev. Microbiol. 2019. 17181-192
3. 国立感染症研究所病原体ゲノム解析研究センター. 「新型コロナウイルスSARS-CoV-2のゲノム分子疫学調査
4. 変異速度の推定値は、最新の成果をもとに随時更新されています。最新のデータは、Nextstrain等をご参照下さい。

2020.04.28|土屋菜歩