きこえと遺伝子医療の現在|ようこそゲノムの世界へ

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きこえと遺伝子医療の現在

2025年東京でデフリンピックが開催されました。
この機会に、「きこえ」について一緒に考えてみませんか。
今回は、信州大学医学部人工聴覚器学講座 宇佐美真一先生に、きこえと遺伝の関係、ゲノム研究の可能性についてお話を伺いました。これからの記事で、きこえに関する研究や医療の進歩について、わかりやすくお伝えします。

質問1)
聴覚の状況にはさまざまなかたちがあり、「ろう」「難聴」「中途難聴」といった言葉をよく耳にしますが、それぞれにどのような違いがあるのか、改めて簡単にご解説いただけますでしょうか。
また、こうした違いは、医療的な対応だけでなく、日常生活におけるコミュニケーションや配慮にも関わってくるかと思います。聞こえる立場の人たちが接するうえで、どのような点に気をつけるとよいか、実践的な視点も含めて教えていただけますと幸いです。

宇佐美先生
今までは、難聴の程度や発症時期に加え、考え方の違いなどから、さまざまな呼ばれ方をしてきましたが、医学的に見ると違いはありません。
医学の進歩により、難聴はもはや原因不明の病気ではなく、原因が分かる病気になりました。また原因に応じたきめ細かな医療が提供できるようになり、難聴医療を取り巻く環境は大きく変わりつつあります。補聴器、人工内耳をはじめとする人工聴覚器の進歩により大部分の患者さんが聞こえを獲得できるようになりました。また難聴に対する遺伝子治療が開始され、その著明な効果が世界的に注目されています。ただ補聴器や人工内耳を用いても軽度の難聴は残ります。また難聴は四肢障害などと比較すると目に見えにくい障害である点も特徴です。聞こえにくいことにより、コミュニケーションがうまくいかず誤解が生じやすい障害でもあります。現在、重度難聴であっても静かな環境では1対1の会話には不自由がない程度まで聴力を回復できるところまで医療が進歩しました。ただ私たちを取り巻く環境は騒音に満ち溢れています。難聴の方に話しかける際には「ゆっくり、はっきり」話しかけていただきたいと思います。

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※以下からは、ろう・難聴・中途難聴を総じて「聴覚障害」と表記させていただきます。

質問2)
耳が聞こえにくくなる原因のひとつに「遺伝」があることは知られていますが、最近ではゲノム研究の進展によって、聴覚障害に関係するさまざまな遺伝子が見つかりつつあると伺っています。
こうした研究のなかでは、生まれつきだけでなく、大人になってから発症する遺伝性難聴の存在や、家族に聴覚障害を持つ人がいない場合でも遺伝が関係しているケースも報告されています。
こういった聴覚と遺伝の関係は、いま、どこまでわかってきているのでしょうか。

宇佐美先生
「難聴」というのは言うまでもなく症状名であり診断名ではありません。従来、難聴の多くは原因不明でしたが、この状況を大きく変えたのが遺伝子解析の進歩です。遺伝子解析の進歩によって、難聴の原因遺伝子が明らかになり、原因遺伝子ごとに分類できるようになってきました。現在150種類以上の原因遺伝子が見出されていますが、原因遺伝子ごとに少しずつ臨床的な特徴が異なります。従って遺伝子診断により、1)正確な診断ができる、2)聴力予後(聴力型、難聴の進行、変動)の予測ができる、3)随伴症状(甲状腺腫、めまい、糖尿病など)が予測できる、4)治療法の選択に役立つ、5)難聴の予防ができる、6)再発率が予測できるといった様々なメリットが得られ、きめ細かな医療の提供に活かせるようになりました。わが国では2012年に世界に先駆けて「先天性難聴の遺伝学的診断」が保険検査として実施できるようになりました。現在、難聴の正確な診断とそれに基づく適切な治療法の選択には、遺伝子診断が必要不可欠になってきています。

私どもが日本人難聴患者さん10,047名を対象に63種類の難聴原因遺伝子の解析を行なったところ、全体で約40%の患者さんに原因遺伝子が見出されました。発症年齢ごとに見ると、先天性難聴では少なくとも約半数に遺伝子の関与があることが明らかになりました。また6-39歳発症の難聴患者さんの約30%に遅発性難聴の原因遺伝子が見出されました。現在15種類の遺伝子がこのような遅発性難聴を起こすことが明らかになっており、国の指定難聴「若年発症型両側性感音難聴」に指定され、高度難聴の場合には医療費の補助がなされています。さらに40歳以上で難聴を発症した患者さんの中にも約20%で難聴の原因遺伝子が見出されました。従来であれば老人性難聴ということで片付けられていた母集団です。従来は「遺伝性難聴」というと「ごく限られた特殊な病気」というイメージがありましたが、遺伝子の面から見ると「ごくありふれた病気」であるということが明らかになってきました。また以前は「遺伝性難聴」は「家族性難聴」と同義のイメージがあり、親も難聴、子も難聴といった家族を思い浮かべがちでしたが、実際には親に難聴がない家族が80%以上であることが明らかになっています(この遺伝の仕方は「常染色体潜性遺伝形式」と呼ばれています)。このように、以前考えられていたよりも多くの難聴患者さんに遺伝子が関与していることが明らかになっています。

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質問3)
質問2に関連して、どのようなタイプの聴覚障害が「治療可能」になってきているのか、あるいは治療の見通しが立ち始めているのかなど、現状についてもお話を伺えればと思います。
さらに、こうした研究が、私たちの暮らしの中でどのように役立ってくるのか
たとえば、診断や予防、あるいは日常生活での向き合い方など、社会との関わりという視点も含めて、お聞かせいただけたら嬉しいです。

宇佐美先生
内耳は多くの細胞の協働作業により「きこえ」という働きを司っています。遺伝子診断により、内耳のどの細胞の働きが悪いために難聴になっているということがはっきり分かるようになりました。そして難聴のメカニズムが次第に明らかになってきたことで、それぞれの患者さんに応じた医療の提供が可能になってきています。軽度・中等度の難聴であれば補聴器が有効です。ただし聴力像に応じたきめ細かなフィッティング(補聴器の調整)が必要です。高度・重度の難聴には人工内耳が有効です。特に遺伝子診断で内耳の機能に関連する遺伝子が原因とわかった場合には効果が高いことが明らかになっており、わが国の小児人工内耳の適応基準にも遺伝子要件が入っております。また難聴の遺伝子治療も開始され注目を集めています。150種類以上ある難聴原因遺伝子のうち、まだOTOF遺伝子による難聴のみが対象ですが、遺伝子治療が効果があることが報告されました(Vassili Valayannopoulos et al. The new england journal of medicine, 2025)。わが国でも2026年にOTOF遺伝子による難聴の臨床治験が開始されますが、今後さまざまな原因遺伝子に拡大されていくことが予想されています。

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質問4)
最後になりますが、2025年11月には、東京でデフリンピックが開催されました。
聴覚障害を持っている方々が主役となるスポーツ大会として、注目が集まっていますが、宇佐美先生はこのような大会をどう受け止めていらっしゃいますか。
医療や研究とのつながりという点でも、感じていることがあればぜひ伺いたいです。

宇佐美先生
デフリンピックは聴覚障害を持っている方が私たちのまわりに多くいるということを知ってもらう良い機会になると思います。
私はこれまで難聴医療に関わってきましたが、この機会にぜひ難聴は原因不明ではなく、治療法もある病気であることを多くの方に知ってもらいたいと思っています。

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インタビューを終えて
医療の進歩により、難聴の原因を明らかにすることが可能となり、補聴器や人工内耳の発達により重度難聴であっても日常会話に必要な聞こえが得られるようになりました。また根本的治療法である遺伝子治療も現実のものとなってきたことを知ることができました。

本記事の作成にあたり、貴重なお話をお聞かせくださった宇佐美先生に、心より感謝申し上げます。

2025.12.26|宇佐美真一