未知のなかば 未知先案内人

interview

第2回 どこまでも「研究者」であり続けるために

デイ・サイエンスとナイト・サイエンス

IMG_5493  一般的に大学院は内部(その大学の学部)からの持ち上がりで定員が埋まってしまうところが多いんですが、当時、筑波大学は広く門戸を開放していたんです。僕は臨床医学系の代謝内科というところに行きました。そこで与えられたテーマは「糖化タンパク質受容体」の発現に関する研究。この研究をきっかけに遺伝子の発現制御に興味を持つようになっていきました。ヒトのすべての細胞は同じ遺伝子のセットを持っていて、その中の、必要な遺伝子が必要な時にスイッチオンされて、いろいろな細胞に変化したり、機能が発揮される。そういう遺伝子の発現制御の話って面白いなぁと思って、博士課程では基礎医学に行くことにしました。山本雅之先生(現・ToMMo機構長)の研究室に入ったんです。山本研究室では、Mafという転写因子の研究をテーマとしていただきました。遺伝子は、環境に存在する異物や活性酸素種など様々なストレスに応答する形で転写が制御されるんですが、それに関わる転写因子の一つです。このテーマはけっこう息が長いテーマで、現在でもそれに関わることをやっています。学部生の頃と同様、この頃もひらすら地道に実験を繰り返していました。

 あの頃のことでとてもよく覚えているのは、筑波大学の学長だった江崎玲於奈先生の言葉ですね。当時、江崎先生は「サイエンスの二面性」についてよく話されていました。科学にはデイ・サイエンス(Day Science)とナイト・サイエンス(Night Science)がある。この二つの言葉にはいろいろな意味があるようなんですが、僕が知っている解釈としては……デイ・サイエンスは、科学の「陽の当たる部分」。学会で発表したり、論文になったり、記者会見をしたりといった科学の(科学者の)華々しい側面ですね。一方、ナイト・サイエンスは「陽の当たらない部分」。研究成果を出すために、ひたすら地道にやるという側面。耐えて耐えてという部分。研究者に夜型の人が多いという冗談もあるようなんですが……科学の中で、デイ・サイエンスが占める部分はほんの少しだけで、ナイト・サイエンスが大部分を占めているんですよね。

 人生の多くを研究の犠牲にして、ひたすら地道に、耐えて耐えて耐えて、陽が昇るまで耐える……あるいは、陽が昇らなくても、また、耐えて耐えてというイメージ。この話を江崎先生の口から聞いた時に「ああ、そうだよなぁ」と至極、腑に落ちたことを覚えています。ナイト・サイエンスのもうひとつの意味としては……本来、論理的である科学も、論理的な思考に基づかずに、主観的、直感的な試行錯誤によって創造に導かれることがある。それもナイト・サイエンスだと江崎先生はおっしゃっていました。

 いずれにせよ、この「デイ・サイエンスとナイト・サイエンス」という考え方が、今までの研究人生の支えになっています。僕はスポットライトを当てられることが苦手なので、主にナイト・サイエンスを実践することが自分の生き方だなと時々、思うんですね。

様々な迷い。そして、葛藤

 子供の頃、父がよく話していた言葉で、とても印象に残っている言葉があります。それは「この世の中では、モノを作る仕事が一番大事な仕事なんだ」という言葉。何度か、このことを言われた記憶があって、僕の心の奥深くに留まる言葉となりました。モノを作る仕事というのは、農業、水産業、工業などの仕事を指しているのだと思います。時々、この言葉が自分の中で浮かび上がってきて、「ああ、僕は結局、モノを作る仕事ではない職業に就いてしまったな」と思うんです。もちろん、研究者は研究成果を生み出すのですが、いわゆる「モノ」ではないですね。たとえば震災のような災害時、社会が切迫した状況となった時には、食べ物や生活必需品などの「モノ」がとても重要になる。しかし「科学」はすぐには役立たないですよね……時々、そんなふうに思うことがあって、僕の「迷い」のひとつとなっています。

 それから、大学院から医学に関わる研究をやってきたのですが、この「医学」に関しても時々、思い迷うことがあります。手塚治虫さんのマンガ『ブラック・ジャック』の中に(マンガの話ばかりですみません)、本間丈太郎というお医者さんが出てくるんですが、彼が「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいと思わんかね?」と言うシーンがあるんです【編集部註:手塚治虫『ブラック・ジャック』手塚治虫漫画全集第1巻/講談社】。つまり、医学は元来、自然の摂理に反した行為だということですね。作者の手塚治虫さんも医者の資格を持っていた方ですから、きっと「医学のおごり」みたいなことを本間丈太郎を通して言わせたのではないかと思います。この言葉も長い間、僕の心の奥に留まっていて、何かの折りに、ふと、思い出して、考え込んでしまいます。

 そうなんです。冒頭で申し上げたように、僕は本当にいろいろと悩みながらやってきたんです。くよくよするタイプなんですよ。

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