未知のなかば 未知先案内人

interview

第7回 データの声に耳を澄ませて

無力感 その先にあるもの

東日本大震災

震災直後の工学部

僕がいた青葉山キャンパスの工学部はものすごいダメージだったんですよ。エレベーターが落ちたりして、とにかくすごかった。震災直後は「もうこれどうしようもないな」って思いました。この凄まじい状況の中で、自分が好きで研究していたことって何の役に立つんだろうって…。ものすごい無力感でした。大学以外の震災の全体的な被害もだんだんわかってきて、2週間くらいは本当にへこんでいました。僕の研究室は被害が少なくて、最低限の研究ができる環境ではあったのですが…ほとんど何も手につきませんでした。

その後、加齢医学研究所の先生と一緒に被害状況をまとめるプロジェクトを始めたのですが、でもいまひとつうまく進まなかったり、災害研究とかレスキューロボットとかの話もちょっとだけ持ち上がったけど、どうも貢献できる感じではなかったりして、なんかずっと悶々としていたんです。「何かしなければ」という想いと「自分は無力だ」という諦めとの間を行ったり来たりしていました。

7月に、復興事業絡みのある会議があって、事情もよくわからなかったのですが声がかかったので出席したんです。でも、その後連絡もなかったので、きっとあれもうまくいかなかったんだろうな、と思っていたら、寒くなってきた頃、急に「あの時の会議の件で、朝7時から打ち合わせするから星陵キャンパスまで来て」って言われました。そこから朝7時の会議が毎週続いて、2月にToMMoが発足しました。

最初の会議も、土曜日だったし、お役所向けの頭数合わせっぽかったし、詳しいことはよくわからないし、で、普段の僕だったら絶対に行かなかったと思うんですよね。さらに朝7時から毎週なんて、病院関係者の間では異常な時間ではないかもしれませんが、研究者で夜も遅い僕にはあり得ない時間帯。無理!とか言って行かなかったと思う。でも、ほとんどサボらずちゃんと毎週出席していました。これって僕としてはすごいことなんですよ。好きでもなくやりたくもないのに、とにかく「何とかせにゃー」と思ったんです。え?やる気?いや、ズブズブになっただけ。やる気はないけど…基本姿勢がやる気なしの僕の中では、最大級のモチベーションだったんですよね。そうは見えなかったかもしれないけど(笑)。

やりたいことではない。だけど

ToMMo発足から5年経ちましたけど、この事業って、いまだにほーんとに大変で、なんか……ほんとに大変。東大の時にスーパーコンピュータの選定に関わって、あまりの大変さに「二度とやるまい」と誓っていたのに、またやる羽目になるし。
それはまだいいとしても、いろんな人がいろんなこと言うから、それに対しての資料とか対応とか、あちこち説明して回ったり、なんだかんだ…。「なんでこれやんなきゃいけないんだろう」「めんどくさいなー」としょっちゅう思っています。

それでもなんとか頑張って来られたのは、神戸の経験があるからだと思います。
阪神・淡路大震災後に神戸のポートアイランドで働く機会がありました。ポートアイランドは震災後、復興のための新しい産業を創出する場として「神戸医療産業都市」が計画された土地です。僕は、神戸大学のサブブランチの立ち上げに携わり半年間ポートアイランドで働いて、この事業が神戸の復興に力強く貢献するのを目の当たりにしました。病院、大学、様々な先端医療の研究所や企業、そしてスーパーコンピュータ京、と多くの事業が移転、設立され、たくさんの雇用が創出され、今なおその発展は続いています。

東日本大震災のような大きな災害から復興するには、何か大きな事業、復興の核となるものが必要なのです。ToMMoの話が持ち上がった時、神戸の経験から「これはいける」と感じました。ToMMoは東北が立ち上がるだけでなく前に進むためのエンジンになれる、その確信があるから「めんどくさいなー」と思いつつも、続けているし、なんだかんだ言っても、のめりこんでいるのだと思います。

世界中の人に語りかけるデータに

木下賢吾

記者の質問に答える木下教授

これまでも大変でしたが、これから大変なことは、コホート調査で収集しつつあるデータを有効に使って成果を出していくことです。成果が出ることによって、やっとこの事業が意味を持つことができます。できるだけたくさんの研究者にデータを提供して様々な成果を出すために、データを共有する仕組みを整えていかなければなりません。

これは大変ではありますが、ただ、僕はデータは多くの人に共有されるべきものであり、「みんなで見てなんぼ!」と思っています。苦労して集めたデータを自分たちのためだけに使いたい、とは全然思わない。なぜなら、同じデータでも、僕が見て「わかる」ことと他の人が見て「わかる」ことは全然違うからです。
まったく同じデータでも100人いたら100通りの「わかる」がある。データはそれぞれの人にそれぞれ異なる物語を語るのです。その中には、病気の原因のようなすぐに役に立つ物語もあれば、「なんじゃこりゃ?」と思うような、何の役にも立たなそうな物語もあると思います。世界中の研究者にデータを見てもらって、データが語る物語を聞いてほしい。そして、ToMMoの目的である病気の解明や個別化医療に繋がってほしい、というのももちろんなのですが、叶うならば、どの分野でも構わないから美しい原理がデータの中から生まれたらいいな、と思います。たくさんの人に使ってもらうために、無口なデータではなくて、「なんだかおもしろそうな話をしそうだぞ」と思うようなデータになるよう、シェアリングの制度を整えたり、データを使いやすい形でデータベースに格納したりしなければなりません。

でもいずれは、データを見るほうに戻りたいんですよね。僕の「わかった」を追究して、なにかしらの原理を解き明かしたい。多くの人に評価されなくともいいんです。自分がいなくなった後、何十年後かに「あれは面白かったよね」って誰かが言ってくれればいい。
いつかは研究の現場に戻って心ゆくまでデータの声に耳を傾けたい。戻りたいけど……、今はまだ、それはできないかな。ToMMoを軌道に乗せて復興の核に育つのを見届けないと。
この仕事をやり遂げることによって、あの震災直後の無力感からようやく解放される、そんな気がするのです。

【2017年1月6日。 東北メディカル・メガバンク棟2階 ミーティングルームにて】

(プロフィール)
京都大学理学部卒業(1994年)、同大学院修了(1999年、京都大学博士(理学))。科学技術振興事業団計算科学技術研究員、理化学研究所ゲノム科学総合研究センターリサーチアソシエイト、横浜市立大学大学院総合理学研究科助手、大阪大学蛋白質研究所産学官連携研究員・客員助教授、東京大学医科学研究所助教授・准教授を経て、2009年より東北大学情報科学研究科教授。2010年11月より東北大学加齢医学研究所・インシリコ解析分野教授を兼務。2012年東北メディカル・メガバンク機構発足に際してゲノム解析部門 教授。2016年4月副機構長に就任。2016年8月よりゲノムプラットフォーム連携センター長。[2017年4月現在]

(担当:是枝幸枝)

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