河北新報 リレーエッセー 医進伝心 第2回

遠隔医療の夢と技術革新/直接診療への貢献 期待

2014年3月19日 掲載
清元秀泰

朝、5時30分起床。外はまだ暗い。今日は気仙沼へ健康調査と専門診療支援に行く日だ。仙台6時40分発の新幹線に飛び乗り、一ノ関から大船渡線で気仙沼に到着。私は木、金曜日の2日間を気仙沼で過ごす。
私が行かなければ、逆ルートで被災地から患者さんが仙台へ足を運ぶことになる。この空間的隔たりはどうしても縮まらない。
私は3年前まで四国の大学病院に勤め、瀬戸内海の離島診療に関わっていた。病院船、つづら折りの山道、乗り物酔いしやすい体質(ゲノム?)の私にはつらい仕事だった。そんな中で、私は医療情報の共有化と遠隔医療の重要性に気付いた。
遠隔医療とは、どんな医療なのか? 自宅にいながら医者に診てもらえる「どこでもドア(病院)」だろうか。今やインターネットを介したテレビ電話のようなシステムによって遠隔診断はもとより、処方箋を発行し「お大事に」と声をかける「お手軽医療」も理論上は可能になった。しかし、これが遠隔医療の本質なのだろうか。
診察室での皮膚の感触や臭いも含めた直接的な身体診察の重要性は、言うまでもない。テレビ画面の向こうの初めてお会いする患者さんの病名をピタリとあてることはどんな名医でも容易ではない。相当の技術革新が必要だ。今の遠隔医療は、通常の診療行為の中できちんと病状が把握された患者さんの利便のための一助にすぎない。
近い将来、体質(ゲノム)も含めた生体情報や診療情報の共有化が進めば、患者さんと医者、そして気仙沼と仙台の距離も縮まるかもしれない。その日を夢見て、明日もディーゼル列車の振動に身を任せ、うたた寝をして行くとしよう。

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