未知のなかば 未知先案内人

interview

第3回 「死なない薬」を作りたかった少年の軌跡

「公衆衛生」に希望を見出だした日々

 東北大の医学部の学生たちは、初期研修の時に様々な分野の医学を体験して自分の進む方向を決めていきます。大きな分類としては、基礎研究か臨床かという選択があるんですが、最初から基礎一本という人は少なくて、多くの学生は、いろいろ経験して、考えた末に進路を決めるようです。

 ぼくの場合も研修が終わったら大学院に進もうとは思っていました。ただ、大学院の研究が終わったら臨床医になるつもりでした。なので直接公衆衛生に入ったのではなく、分子血管病態学分野の伊藤貞嘉教授に大学院に入れていただきました。そこで今井潤講師(肩書は当時。現・薬学研究科教授)が中心となって研究をしていた「大迫研究」の解析を大学院のテーマにさせていただきました。その解析方法を学ぶために、久道茂教授が主宰されている公衆衛生の門を叩いたわけです。学問分野としては、公衆衛生学、あるいは疫学ということになります。

 「大迫研究」は、家庭血圧や24時間自由行動下血圧と循環器疾患の関連を研究するグループで、まさに「病気になる前に防ぐこと」を研究しているところでした。公衆衛生学という分野は、「公衆」というくらいですから、多くの方々の身体のデータを統計学的に解析していく側面があります。ぼくは確率を算出したりすることには興味があったので、それも合っていたのだと思います。そういう解析を研究論文にしていくわけですが、どんなに興味があっても最初は(といってもかなり後までもですが)、けっこう執筆が苦痛でした。でもやっているうちに、考えたことが紙に記されて残っていくことがだんだん楽しくなってきて……。それに、そういう解析を残していくことが少しでも世の中のためになるんじゃないかという気もしていました。だから、2年間で臨床に戻るはずだったんですが、自分から「4年間、公衆衛生にいさせてください」とお願いして、公衆衛生に留まらせてもらったんです。

 もっとも、自分の中では臨床中心の生活から研究中心の生活へと、どこで舵を切ったのか、あまりはっきり覚えていません。気づいたら研究を続けたいと思うようになっていました。結局、4年間、公衆衛生で研究を続け、大学院の終了の時期となりました。

 大学院を終了する頃、学術振興会の特別研究員(以下、学振PD)に採用され、3年間、研究を続けられる身分となりました。そして、辻一郎教授(東北大学大学院医学系研究科)のもとで「鶴ヶ谷プロジェクト」というコホート調査に関わらせていただきました。鶴ヶ谷コホートは、仙台市宮城野区の鶴ヶ谷地区を対象に高齢者の健康状態を追跡する調査です。そのデータ集め作業をやらせてもらったんです。

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辻先生は「健康寿命」という概念を日本にもちこまれた先生です。いわば「人が元気に長生きするためのレシピ」を作ろうとしていらっしゃいました。ぼくがずっと考えていた「死なない薬」ととてもよく似た方向性だったので、辻先生の考え方に強く共感しました。辻先生は「高齢者が病気になる原因は、運動機能、認知機能、心の問題、栄養状態などが深く関わっている。通常の健診では測れないそういう部分を考慮して総合的に評価することが高齢者の健康に活かせるはずだ」と考えていらっしゃって、それがそのまま、国民の健康を増進するための国の方針に反映されていきました。とても大きな仕事だったんです。素直に「すごいな」と思いましたね。

 具体的なデータ集めのやり方は、高齢者の方に検査を受けていただくとともに、聞き取りでアンケートを作成していくという作業。それをかなり自由な形でやらせていただきました。思いついたことをぼくがどんどんやっていって、穴が空いたところを辻先生にサポートしていただく形。この時の経験が現在のコホート調査の作業に活かせていると思います。

 そんな経験を経て、学振PDの3年目、34歳の時に米国のミネソタ大学に留学しました。ミネソタ大学では2年ほど公衆衛生の研究をして、そのまま、日本における循環器系疫学のメッカ、滋賀医科大学に着任しました。こちらでは日本を代表するコホートであるNIPPON DATAの解析に参加させていただきました。2年間の滋賀医科大学生活を経て、再び、東北大学に教員として採用していただきました。

 東北大学に戻ってからは、鶴ヶ谷プロジェクトの解析を中心に研究させていただきました。非常に充実していたのですが、ある時、山形大学で、1万人規模のゲノム・コホート調査研究を公衆衛生学OBの深尾彰教授を中心に始めるという話を聞き、さらにそのためのスタッフの募集がなされていることを知り、「ぜひ、それをやってみたい」と思いました。新たに1万人を越えるコホート研究を立ち上げる現場に立ち会うことはそうないことです。是非経験してみたいと思いました。そこで辻先生にお願いし、深尾教授のお許しを得て山形大学に移籍し、「山形分子疫学コホート研究」の立ち上げに携わらせていただきました。

この山形大学のコホート調査の立ち上げに参加して1年が経過し、「ようやく軌道に乗ってきたかな」という感じになってきた頃、あの、東日本大震災が起こったんです……。

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