東北メディカル・メガバンク機構

未知先案内人

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第2回 どこまでも「研究者」であり続けるために

 もう一度、聞きますが、本当に僕にインタビューするんですか……? 今までの人生、人様に語れるようなものではありませんし……後付けの人生論で自分の存在を脚色するのも、ちょっと気が引けます……はい……はい……でも……うーん……たしかにこんな機会は滅多にないので良い経験にはなりますよね……分かりました……ありのままに話しますので、よろしくお願いいたします。

勝岡史城准教授
勝岡 史城 ゲノム解析部門 准教授

 僕は、この東北メディカル・メガバンク機構(以下、ToMMo)で、主に「次世代シークエンス解析の立ち上げと技術開発」をやってきました。ToMMoでは、コホート調査参加者が提供してくださった血液からDNAを取り出して、次世代シークエンサーという機械にかけ、ゲノム配列を読み取っています。「次世代シークエンス解析」は新しいゲノム解析技術なので、まだまだ改良の余地がある発展途上の技術です。実際、当初は一般的に実施されている次世代シークエンス解析の方法を試してみたのですが、理想とするデータを得ることはできませんでした。ですから、その後、理想とするデータを得るために実験条件をベストな状態にする方法を開発してきました。また、これと並行して、独自に「検体管理システム」を作成し、運用してきました。この検体管理システムによって、検体の取り違いを防ぎ、実験条件の管理も行っています。さらに、次世代シークエンス解析によって得られたデータが本当に正しいかどうかを確かめる(検証する)方法の技術開発も行っています。現在、ToMMoが行っているバイオバンク構築や日本人ゲノムの解析は、いわば「研究をするための基盤の整備」です。ここでの僕の仕事は、そういう基盤整備とそのための技術開発ということになりますね。

 でも、本来は一人の「研究者」です。十代の頃、「研究者になろう」と思った瞬間から、ずっと、研究者になりたい、研究者でありたいと思って生きてきました。もちろん、「迷い」もたくさんありましたよ。最初に研究者になろうと思った瞬間は何の迷いもなかったんですが、実際に研究者になってからは迷い続けています。思えば、今までの人生、ずっと葛藤の連続でした。

ほうれん草をすりつぶす日々

 生まれは東京の竹ノ塚です。幼少時はごく普通の子供だったと思いますが、科学が好きな子で、『学研まんが ひみつシリーズ』を毎日読み込んでいた記憶があります。でも、本当に科学者になろうと思い始めたのは高校時代、進路選択の頃ですね。僕は小中学校時代から、興味のある科目は勉強するけど、興味のない科目は一切やらないタイプの子供でした。それが高校時代も続いていて、理系科目にしか興味がありませんでした。当然、進路選択も理系以外にはないということになります。その頃、「将来は科学者、研究者になりたい」と思うようになりました。僕の叔父が研究者だったことも影響していると思います。その叔父が静岡大学出身だったこともあって、静岡大学理学部に進学しました。静岡には農家で梨を作っている祖父も住んでいましたし。もちろん、自分の学力で受かる大学という選択肢でもありました。

寮生活 大学は生物学科に行きましたが、男4人部屋という、いかにも臭そうな寮生活も経験し、3年生くらいまではひたすらアルバイト三昧でした。弘兼憲史さんのマンガ『課長 島耕作』に中沢部長という魅力的な人物が出てくるんですが、その中沢部長が「今の学生は楽なバイトばかりして、得した気分になっている」というようなことを言うシーンがあるんです【編集部註:弘兼憲史『課長 島耕作』第16巻/講談社】。それに感服した僕は肉体労働ばかりやっていました。家庭教師などは自分に向いているとは思えませんでしたし。建設関連の肉体労働などもやりました。僕は肉体派ではないので、あまり役に立たなかったはずですが(笑)。自分としては社会勉強ができて、とても良かったと思っています。

 4年生になると、研究室に配属されるので、やっと「研究」を始めることになりました。最初は、ほうれん草のプロテアソームの研究をやりました。当時、プロテアソームという「特殊な酵素の複合体」が見つかって間もない頃だったので「最先端の科学をやりたい」と思い、研究テーマに選んだのです。しかし、実際に研究を始めてみると、外から眺めて「面白い」と思っている感覚と実際にやってみて感じる感覚との間に大きなギャップを感じました。「研究というものは、黙々と、ひたすら地道に実験を繰り返してやっていくものなんだ」ということを、あの時、初めて経験したんですね。近くのスーパーでほうれん草を買ってきて、すりつぶして、黙々と実験をやって……。

 周囲は、3年生の頃から就職活動でみんな大変そうでしたが、僕は研究者になると心に決めていたので、就職のことなどまったく考えずに黙々と実験を繰り返していました。あの時やっていたほうれん草の研究も面白かったんですが、研究を続けるうちに、もう少し社会に関わるというか、「人」に関わるテーマをやってみたいと思うようになっていきました。そして、僕にもそういう研究をやらせてくれる大学院はないかと思って探した結果、ぴったりのところを見つけました。筑波大学の大学院でした。

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