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interview

第1回 「寄り添う者、遺伝カウンセラー」を育てるということ

日本の遺伝カウンセラー養成の現状

GC講義風景20133  遺伝カウンセラーの養成は米国で1969年に始まりました。世界初の遺伝カウンセラーが認定されたのが1971年。日本で最初の遺伝カウンセラーが認定されたのは2005年ですから、米国より30年以上遅れていることになります。冒頭で申し上げた遺伝カウンセラーの人数の差、3000人と151人はそういう経緯にもよる数字です。お茶の水女子大学には4年間在籍していたのですが、毎年4名から5名の遺伝カウンセラーを世に送り出していました。

 遺伝カウンセラーの養成において、現在、もっとも問題となっているのは、資格取得後の仕事場(遺伝カウンセラーの労働市場)です。全国ではまだまだ包括的な遺伝子診療を提供している病院が少ないので遺伝カウンセラーの就職先が限定されますし、認定遺伝カウンセラー資格は医療国家資格ではなく、学会認定資格ですから【編集部註:認定遺伝カウンセラー資格は日本人類遺伝学会と日本遺伝カウンセリング学会が共同で認定している】、それも我が国の医療現場での労働市場の形成には辛いところです。そもそも、医療全体の中での「臨床としての」遺伝医療の位置づけも一様ではなく、いろいろと動いている状態です。ただ、雇用については、この数年でずいぶん良くなってきています。この東北大学でも、たまたま、私がお茶の水女子大学時代に教えた遺伝カウンセラーが一人だけ雇用されています。来年から北大病院でも雇用が始まります。また数年前から阪大病院でも病院常勤職員として雇用されています。それから、この近くですと、石巻赤十字病院に遺伝カウンセラーが一人、事務職で常勤雇用されています。

 昨年来、無侵襲的出生前遺伝学的検査【編集部註:新型出生前診断。胎児染色体異常の診断を行う。】が行われるようになりましたし、米国の女優が遺伝子検査を受けて予防的な手術を受けるという報道もありました。今後、我が国でも臨床遺伝医療の発展にともなって遺伝カウンセラーのニーズが増えていくはずなので、きっと多くの病院で遺伝カウンセラーを雇用するようになると思いますね。

遺伝子とは、多様性を体現したものである

 最後に少し大きなお話を……。ヒトの全ゲノムが解読された頃【編集部註:ヒトゲノム解読(解析)プロジェクトが完了したのは2003年】と比べて、個人のゲノムが容易に読まれるようになった現在、遺伝子に対する考え方が当時とは変わってきています。いわば、ひとつの大きな思想が始まっていると言えるでしょう。

 個人のゲノムが最初に読まれた頃は「普通のゲノムというのは、どういうものですか?」という疑問を発する人がたくさんいました。その背景にあるのは、いわゆる「正常なゲノム」という概念ですね。でも、実は「正常なゲノムというものは存在しないんだ」ということがだんだん分かってきました。それぞれの人のゲノムは全部、他人とは違っていて、その中で「共通する部分」がある程度、存在するということです。ToMMoでは、1000人分の全ゲノムを解読(解析)して、それをレファレンスゲノム(参照ゲノム)として公開しようとしています。「正常」ではなく、あくまで「参照」。これは、「絶対といえるものがあって、それからどれだけ離れているか」という自然科学の古くからの考え方では理解できないことですね。そして、これから、3000人、1万人、10万人と、どんどん全ゲノムを解読していけば、共通する部分はどんどん少なくなっていくと思われます。

 正常なゲノムは存在しない。すべての人のゲノムが違っている。そう考えると、遺伝子とはまさに「多様性」を体現したものであると言うことができます。ToMMoは、1000人のゲノムを読むことによって「多様性を明らかにしようとしている」と言えるわけですね。この多様性とは、すなわち「唯一性」です。これは、社会における「遺伝子の捉え方」、そして「遺伝子の変化による病気の捉え方」において、とても大切な考え方だと思います。「正常なゲノムからどれだけ離れているか」という旧来の思想を持ち続ければ、やがて遺伝子差別も出てくるでしょうし。ですから、そういう考え方、「多様性の思想」が心の底まで沁み入っている人が遺伝カウンセラーになってくれるといいなと思っています。

 それから、もうひとつ。今後、遺伝カウンセラーには、本来の遺伝カウンセリング業務だけでなく、社会のゲノムリテラシーを向上させるために「一般人への啓発・教育」にも参画してほしいですね。いわば、ヒトの遺伝子のみならず、医療や病気をもテーマにしたサイエンス・コミュニケーション的な活動です。この遺伝性疾患や医療というテーマにおいては、遺伝カウンセラーがサイエンス・コミュニケーターと恊働することが可能だと思っています。

 私の人生の転機は、米国で遺伝医療を垣間見て、遺伝カウンセラーの存在を知った瞬間でした。その時に知り合った米国人の遺伝カウンセラーの方は、まだ駆け出しの医者だった私にとても良くしてくださいました。大切な恩人です。現在でも交流を続けています。

 振り返ってみれば……「心理学をやりたい」と思っていた高校生の頃から遺伝カウンセラー養成をやっている現在に至るまで、私自身は一貫して「人の心に関わりたい。人との対話に関わっていきたい」という思いを持ち続けてきたことに気づきます。もちろん、今までの人生のそれぞれの時期には意識していなかったのですが、振り返ってみると気づくのです。そして、それはとても大切なことだと思っています。人と話すことは、人が生きていくために絶対に必要なことなのですから。

【2014年2月10日。東北大学加齢医学研究所にて】

(プロフィール)
1986年、東京慈恵会医科大学医学部卒。92年、同大学院修了。博士(医学)。95年、 ワシントン大学遺伝医学講座・シアトル小児病院遺伝科シニア・フェロー。95年、 東京慈恵会医科大学医学部小児科助手、都立北療育医療センター医員、医長。2002年、信州大学医学部附属病院遺伝子診療部助手、信州大学医学部社会予防医学講座助教授を経て、長野県立こども病院総合周産期母子医療センター遺伝科部長。2009年、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科ライフサイエンス専攻遺伝カウンセリングコース教授。2013年より東北メディカル・メガバンク機構教授。東北大学大学院医学系研究科医科学専攻修士課程遺伝カウンセリングコース代表・教授を兼務。専門は、小児臨床遺伝学、Dysmorphology、遺伝カウンセリング。臨床遺伝専門医(1995年~)、臨床遺伝専門医制度指導医(1996年~)。認定遺伝カウンセラー制度委員会委員長(2009年~)。[2014年2月現在]

(担当:清水修)

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