未知のなかば 未知先案内人

interview

第5回 情報を土台に未来を支える

僕は今、ToMMoで「コホート調査による健康情報や生活習慣情報、ゲノム・オミックス情報、医療情報を統合するデータベース」を作っています。これはゲノム医療の実現には欠かせないもので、一人ひとりに合わせた予防や医療を花咲かせようとするゲノム医療の研究活動の土台に当たります。こうしたデータの蓄積によるゲノム医療の研究がさかんになったのは比較的最近のことですが、可能性を見込んで各国が力を注ぐようになりました。その発展は高齢化社会を支え、医学を進歩させると言われており、僕もそう信じて働いています。ですが、若い頃から医療の未来を意識して歩んできたわけではありませんでした。

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荻島創一 統合データベース室 室長(バイオクリニカル情報学分野 准教授)

病気は生命システムの変化

僕の活動のメインテーマは今でこそ「健康調査情報、ゲノム・オミックス情報、医療情報を統合したデータベースを構築して医療情報を研究に役立てる」というものですが、元々は別のことに興味をもっていました。大学へ進んだ時は、物理の美しさに惹かれていたのです。ニュートンの方程式やケプラーの天体の法則、そして当時はやっていた宇宙物理のような、理論で世の中の物理現象を説明する世界に。けれども大学で数多くの学問分野に出会って、興味の幅が広がりました。映画を年間200本見る授業は新鮮でしたし、リベラル・アーツには興味をひかれることがたくさんありました。「世の中にこんな物の見方があるんだ」と目が開かれる感覚がして面白かったですよ。今思えば、もっと多くの分野を学んでおけば良かったと思います。
大学3年からは工学部計数工学科に進学しました。数理科学を現実社会で応用する分野です。当時は脳科学やゲノム情報学など数理科学が生命科学に入って熱くなってきた時代でしたが、その空気の中へ身を投じたいと思ったわけです。
僕は工学部にいましたが、どちらかといえば実用を求めるより真理を知りたいと望んでいました。なかでも面白さを感じていたのは「生命システムの変化」です。たくさんの分子の働きがネットワークを織りなして生命を形作っているととらえる視点に立ち、そのネットワークの変化に面白さを見出して、研究する日々でした。

東京医科歯科大学博士課程に進んで、田中博教授(現在、ToMMo機構長特別補佐)のもとで研究するなかで、がんやアルツハイマー病などの「病気になる」とは「正常で安定な健康状態から異常で安定な状態へシステムが切りかわる」ことだと気づかされました。例えば、正常な細胞ががん細胞に変化していくのは、DNAやタンパク質の働き方など細胞のシステム変化によって起こるととらえることができます。「病気とは、生命システムが変容する一つの形である」。この新しい考え方がとても面白く感じました。東京医科歯科大学では臨床サンプルの遺伝子発現データには関わりやすかったこともあり、研究の重点を病気に置いて、どんな遺伝子の働きかけが体の状態変化のスイッチを押すのか、そしてどういうネットワークの変化が起きて病気になるのかを、バイオインフォマティクスやシステム生物学の手法で調べる日々でした。

子育てを通して社会へ目を転じる

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ハイデルベルグにて長女と

その後卒業して研究者として働く中、娘が生まれ、一歳半になってから夫婦で南ドイツのハイデルベルクへ留学しました。
14世紀から続く大学街ハイデルベルクは子どもを育てるには良い街でした。ベビーカーをバスに乗せる時には必ず誰かが手を貸してくれます。この街の人が子供を見る目は温かく、子育てをする親への思いやりに満ちていて、「こういう所で暮らしたい」と感じました。
仕事の姿勢も日本と違います。家族と過ごすために、みんなが努力していました。無理に仕事に励もうとしませんし、自分のペースを大事にしていて、17時や18時になれば家族が待つ家へ帰っていきます。
この地で家族との暮らしを大切にするドイツの人たちを目の当たりにして、子どもへの温かさに満ちた環境のありがたみを心の底から感じたことが、自分の価値観を変えていきました。過去に僕が満足していた東京の生活は子育てに向いていたわけではなく、夫婦暮らしの良さを感じていたにすぎなかったんだと思います。
そして感じ始めたのが、強烈な危機感でした。「40年後、子どもの時代に医療が破綻していてはいけない」という問題意識です。
2055年には40%以上の人が65歳以上という超高齢化社会がやって来ます。社会の人口構成が大きく転換する時代に今と同じ医療のままでいては、医療の質が落ちることは避けられません。患者が増える一方で、医療者の増員は難しいからです。医療にかかる負担を減らさなければとても対応できないでしょう。そこから僕は「一人ひとりの体質や生活習慣に合わせた予防や医療の実現が分かれ道になるはずだ」と考えるようになりました。予防ができれば患者は減りますし、一人ひとりに適した医療の提供は、早期の治癒や効率の向上につながり、負担を軽減させます。
実現のためにポイントになるのは何かというと、医療情報を研究に役立てる仕組みです。研究分野が近かったこともあり、その実現を担って社会を変えていく側に自分も加わりたい、と思いはじめました。以前は学問的な面白さのみを求めていたのですが、我が子の存在によって社会的な感覚が養われ、研究以外のことに目が向くようになったのでしょう。
子どもが成長していく姿を見ながら、そこに注目したのは、僕にとって自然な流れでした。医療情報と研究の橋渡しを進めていけば、その先で一人ひとりに合わせた予防や医療の実現につながります。これからの未来を生きる娘たちのことを思うと、橋渡しの仕組みを手がけるのは意味のあることに感じられました。

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